会期中展示作品を一部入れ替えます
ズビネック・セカール作品の魅力について語る
2月2日(日)15:30~
1,000円(入館料込)
水沢勉氏(神奈川県近代美術館館長)、
柚木沙弥郎氏(染色作家)鹿目尚志氏(デザイナー)をお迎えします。
●神奈川県近代美術館鎌倉別館にて、「特集展示 ズビネック・セカール」として同時開催。
1923年 プラハ(チェコスロバキア)に生まれる。
1941-45年 パンクラーツ、テレジンスタット(チェコ)、 マントハウゼン(ドイツ)の政治収容所にいれられる
1950年 プラハ工芸美術院終了後、本の編集や翻訳、グラフィックの仕事。
1961年以降 チョコ、オーストリア、ドイツにて個展開催。
1969年 西ベルリンを経て、ウィーンへ亡命。
1972年 シュトゥットガルト美術学院にて教鞭をとる。
1997年 ギャラリーTOMにて加藤照男と二人展。
1998年 ウィーンにて永眠。
1990年代から80年代にかけて、セカールは数多くのブロンドの「門」を造っている。それらは他の作品とは明らかに違う異様な息づかいで、我々に迫っている。 第二次大戦中、20歳代の彼は、転々とナチの強制収容所に投げられいる。後年、そのモニュメントの雛形を造っているが、ナチの番兵さながらに肩をいからせ、徹然と両足をふんばり、黒々と不気味に立っている。それはまさに地獄の門であって、生と死との境界であり、一度入った者は断じて出ることを許されないのだ。
戦後1968年、束の間の「プラハの春」がソ連軍の制圧によって終りを告げ、彼はドイツを経てウィーンに亡命する。やがて、ひそかにプラハのアトリエに残した作品を取り戻し行くが、国境の女監視人によって、命の保証ができないという理由で、入国を厳しく拒否される。そして、彼が深く心酔したカフカの小説「掟の門」には大男の門番がいて、主人公の男は「いまはだめだ」と、扉はあいているのに、中に入ること拒絶される。男は理由もわからず、何年も待ち続けてついに命が尽きてしまう。門番は扉を閉じて去る。 門は必ずしもひとつの領域から他の領域への通路であるばかりではなく、同時に侵入と、通過誘いつつ、それを拒み、退け、人をそこに釘付けにする。このカフカ的物語世界と「門」にまつわる苦痛にみちた記憶が、次々とセカールに「門」を制作させたものかも知れない。
1989年セカールが日本に滞在したとき、明治神宮の大鳥居にはじまって、伊勢神宮や出雲大社の白木の大鳥居、日本海の岩上の小鳥居、そして海中の厳島神社の赤鳥居を見て、その素朴な形の美しさに異常な感動をおぼえたことを、ウィーンの夫人に書き送っている。古い日本人にとっては、鳥居は日常世界と聖域との境界を意味するだろうが、セカールにとっては、扉もなく門番もおらず、従来、出入自由な門=鳥居はいったいどう理解したのであろうか? 私は生前の彼にそのことを尋ねる機会を失ったことを、まさに残念に思っている。
村山治江