スサノヲの予感

2019/1/5Sat.-1/27Sun.

1月15日(火)と1月21日(月)は休館

開館時間
11:00-18:00

出展作家 赤木仁、江尻潔、大森博之、菊井崇史、黒川弘毅、黒須信雄、古西律、
タカユキオバナ、 田野倉康一、出口王仁三郎、栃木美保、橋本倫、藤白尊、
藤山ハン、宮川隆、木食知足、吉原航平 ほか作者不詳の書画

一般500円 小中学生200円
視覚障害者及付添い各300円

対談:田野倉康一x江尻潔 「スサノヲ予感」2019年1月12日(土)午後3時より

 
 

スサノヲの予感

江尻 潔

神とは「はたらき」であり、私たちの祖先は人知を超えた何ものかに神としての「名」を 与えた。なかでも「スサノヲ」と名づけられた「はたらき」は最も複雑である。スサノヲは荒ぶる自然神であるとともに、うたの神であり、文化神の一面がある。自然のとてつもない力に対して人がいかに生きられるか、また、生かされているかという支える力をもス サノヲというはたらきのもとに相対化したことを意味する。 自然のなかで人が人となっていく記憶や知恵がスサノヲの神話に現れている。オホゲツヒメの殺害は農耕の起源を物語る。スサノヲは自然と人、双方にかかわる神(はたらき)な のだ。荒ぶる自然の猛威を保ちつつ人間に深く関与する神としてのスサノヲ像が結ばれる。いわば、自然と人間のあいだに立ち、どちらにも大きく動く神なのである。神話の中でタ カマノハラから根の国まで―高みから根底まで往還する神はスサノヲのほかイザナギのみ である。しかし、イザナギと決定的に異なる点は人となった神であることだ。

神の威力を奪われ、タカマノハラを追放されて出雲に降り立った時点でスサノヲは人となる。人として自然の猛威であるヤマタノヲロチを退治し、クシナダヒメを娶る。そして、 地上で初めてうたを詠う。ここに芸術神スサノヲが発動する。神詠、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」は、芸術のは たらきを詠ったものに思えてならない。圧倒的な自然の力を前にして人は身も心も崩壊の 危機にさらされる。自然やその奥に潜む神が、人のことなどお構いなしに、いわば人の心 を裏切るかたちで顕現した時、人もまた神を裏切る。この裏切りこそ人間性であり、自然 から離れようとする意思なのだ。この意思が結実し、かたちをなした最たるもののひとつ に芸術作品があげられる。芸術は人間性を宿す器なのである。いわば、芸術は自然のなかで人間性を保つためのアジール=八重垣なのだ。アジールとして芸術が機能することをスサノヲはうたで伝えてくれる。スサノヲは荒ぶる自然の残虐性をあらわにする一方、いかにして人がそれから身を護るか、その方途も示している。危機と救済、双方をもたらすこの根源神は、日本の神に見受けられる二面性をよく表している。

スサノヲは、地上に降り立ち、人としての情を獲得した。これは重要なことである。な やわぜならば、自然にも情が与えられたからだ。自然に情があるならば、その猛威をうたで 和 ことむすことができるという発想が生まれる。うたにより自然を言向け和す、これがうたびとの役目であり、芸能が発達する。さらにスサノヲは妻を地上に留めたまま、 妣 イザナミのいる根の国へと移る。ここにも、重要な示唆がある。スサノヲは、芸術神のはたらきを保ったまま、根の国へ向かったあめ のりごとのである。その証に「天の詔琴」を所持している。琴はオホクニヌシによって奪い去られ るが、スサノヲの芸術神としてのはたらきがなくなるわけではない。むしろ根の国におい て力を増した芸術のはたらきが地上にもたらされたと考えるべきであろう。根の国に基づく芸術とは何か―「ネ」とは死者の魂を意味する。それが、生きているものの「根」にあ たるからだ。ミネ(峰)は御根であり、祖霊が留まる聖なる山である。だとすれば死者たちの意識を含めたいわば集合的無意識を源とする芸術ではないだろうか。天の詔琴は、枝に触れただけでも大地を鳴動させる威力を持っている。この琴は、果敢に他者や外界に作用 もののぐを及ぼす 武器 の性格を持つ。芸術はアジールであるとともに「もののぐ」なのだ。

ここにおいて受動的な「言向け」が、能動的な「言挙げ」へと反転する。 注意したいことは、この琴が、冥府由来であるにも拘わらずその名に「天」を冠していることだ。天の響きをもたらすものなのである。先述したが「ミネ」は、天に通じる「根」 である。根は地下だけではなく、天にも伸びている。双方に伸びてこの世の元をなす。天 に伸びた「根」はタカマノハラに通じていることだろう。よって琴の音は天から地へ、地 から天へ鳴り響き、作用する。地上はもとより、天界、冥界どちらも動かす力を持ってい る。これこそ、人はおろか、天なる神、さらには地下の鬼神をも涙させる芸術の力なのである。このたび集った表現者は、スサノヲのはたらきを受け持つ「みこともち」であり、それ ぞれ「天の詔琴」をスサノヲから授かっている。その意味で彼らはスサノヲの末裔なのだ。 彼らの作品が天の詔琴の響きとなって、人の心を震撼させ奮い起こし、さらには人以外の 何ものかにも作用することを切に祈る。