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次回以降の展示
 
 
 
 

 

 世界的にマスメディアの情報が信用できなくなってきて久しい。日本の中だけにいる人には気付き辛いかもしれないが、日本と外国での情報の違いを見続けてきた者にそれは明らかだ。国際NGO「国境なき記者団」による2016年の世界報道の自由度ランキングによると、
日本は72位とされている。情報というものは、操作されている側は気づかないという特徴がある。日本での情報操作は、中国や北朝鮮の、全く情報を出さないそれとは少し違い、出す情報はあっても発信の頻度を調整しているということがある。そして、Youtubeなど動画サイトへの録画映像コピーは著作権を理由にして厳重に取り締まる。信頼できると国民が信じている機関、あるいは有名人などの権威を利用して情報を発信させ、ある種の情報だけを信用させるということもする。そういった操作の組み合わせで情報が発信されている。


 日本とは、意見を言い合わない社会であるという傾向もある。面と向かって意見を言えない社会。あるいは意見を持つことを自分から拒否して、周囲に合わせることを優先して生きる社会でもあるかもしれない。「和」を大事にする社会だからということがあるだろう。そういう日本社会の性格が、自分らから政治批判を避け自制してきた。


 同じように、芸術にも政治性を入れない様に動いてきた。日本では、表面にある効果だけが競争されて洗練されていったりする。芸術系の学校でも、メッセージへの考察はほとんどないまま、技法だけを教えることになってしまっていることが多い。フランスなどの美術教育の場では、美術作品を見て内容を読む努力をする練習に多くの時間を割いている。2008年からは全国の一般の中学の卒業試験でもこういった能力をみる試験が面接で行われている。

 美術は眺めてみるだけのものではなく、その奥にあるものを読もうとしなければ芸術にならない。優れたものを作ることが美術を読む能力として評価されがちだが、実は、美術の要は作品を読む能力の方にある。
美術を読む能力とは、分析力と批判力、想像力、直感と知識、調べる能力などで決まる。見る人の能力の違いや独創性によって、同じものを見てもみんなが同じものは読み取らない。また、作品の読み方に間違いや不足は指摘できても正解というものはない。


 美術に影響力を発信できる高い美術力のある社会
とは、作品を見る側に力がある社会のことだ。例えば、アメリカやヨーロッパなど見る側に力がある国が、他の国の美術を見つけてきて、これは優れていると世界に発信したりしている。芸術に絶対の読み方などというものはないから、たとえ有名な評論家の読み方でも、それは読み方の参考となる「一例」示しているに過ぎない。
美術を見る人は皆、それぞれがそれぞれの方法で作品を読む。それぞれが主体的に読むことによってはじめて芸術というものに価値が生まれるのである。芸術を批判的に読む力が高ければ、自分から自分の為の解釈ができるということ。それができる社会は、マスメディアからのニュースなども、一方的に受けるだけとはなりにくい。


なお、今回の「情報」展はパソコンでの遠隔操作で、
私から送る情報を現場のスタッフに解釈してもらって展覧会をつくるという試みをした。

 

            2016年11月 エリック・C

 
   


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

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